横浜市都筑区誕生







TSUZUKIの頭文字「T」を
モチ−フに、緑と整備された街並み、
豊かな水を表現しています。
私達の都筑区は平成6年11月6日に誕生致しました。









『都筑(つづき)区』の由来
横浜市の北西部一帯(都筑、港北、緑、青葉区一帯、旭区二俣川、保土ケ谷の一部)は奈良時代から昭和14年に横浜市に編入されるまで”都筑郡”と呼ばれていました。
この都筑という地名が、文献に初めてあらわれるのは、万葉集の読み手の名前の中です。
明治12年から昭和14年まで川和町に都筑郡役所がありました。
また、昭和53年に、現在の青葉区荏田西2丁目(荏田猿田公園)で発掘された長者原遺跡は奈良時代の都筑郡衛(つずきぐんが_郡の役所_)と言われています。
『都筑区』の名称は,この歴史的に由緒ある地名を受け継ぐとともに、これからの街ずくりが、新しい「都を 筑(きず)く」という区民の総意で進むことを願って、つけられました。

横浜市のあゆみ ( 都筑区の変遷を中心に)

8世紀          このころ長者原(ちょうじゃぱら)に 都筑郡衛(ぐんが)がおかれる
              都筑郡の防人(さきもり)の詠んだ歌(755年)が万葉集に採り上げられる
1871(明治 4)年  廃藩置県により「神奈川県 都筑郡」となる
1889(明治22)年  市制施行 横浜市人口116、193人
1927(昭和 2)年  区制施行 (鶴見、神奈川、中、保土ケ谷、磯子区)
1939(昭和14)年  区新設  (港北、戸塚区)このとき横浜市、川崎市に 都筑郡の大部分を編入
1942(昭和17)年  横浜市人口100万人突破
1943(昭和18)年  区新設  (南区)
1944(昭和19)年  区新設  (西区)
1948(昭和23)年  区新設  (金沢区)
1951(昭和26)年  横浜市人口再び100万人突破
1968(昭和43)年  横浜市人口200万人突破
1969(昭和44)年  区新設  (港南、旭、緑、瀬谷区)
1985(昭和60)年  横浜市人口300万人突破
1986(昭和61)年  区新設  (栄、泉区)
1994(平成 6)年  区新設  (都筑、青葉区)
2002(平成14)年  横浜市人口350万人突破!! (平成14年に350万人ついに突破、市としては日本最大、ちなみに2位の大阪市は同年262万人です。) 
 


Then,Click on this(★★★トップメニュ−★★★に戻ります)
Last update: 2021-12-28